Muranaka Diary2000-2017

終着駅

お袋がいる。
実に40数年に渡りラーメンを作ってきた人である。
ラーメンとぼくたち兄弟を育ててくれた人。朝は早くから夜は遅くまで
よく働いていた記憶があります。 
目覚めはネギを切る包丁とまな板の音、鼻につくような強烈なスープの臭い・・・・
学校へ行くと父や兄弟とで手伝っていたニンニクの皮むきで
爪に染込んだ臭いで周りから嫌われる始末だった。 「あっ!ラーメン屋〜、くせぇ〜!」
手伝いのドンブリ洗いや出前は中学生からした記憶がある。

やがて自分が美容学校に進むことに猛反対した父だったがお袋だけがたった一人の理解者だった。
美容学校へ行けた事もロンドンに留学できたのもお袋の仕送りがあってこそ出来たことだと思うと
歯がゆく、そして辛い・・・。 今更だがこれから出来るだけの親孝行して行こうと思う。
そのお袋、先天性股関節脱臼の障害者であった。 脚が不自由・・・。
座ってラーメンをゆであげる人はいないと思う。しかしお袋の凄さはそんなものではない!
ぼくがこれから見習わなければならないことでもあるのだが「食べて頂いた人様に感謝する」
「美味しいものを作って喜んでいただく」をこの40数年、ずっと守り通してきた人なんだ。
単に商売としては考えない。 だから一人一人のお客さんが食べている顔を忘れない。一度
来店した顔は絶対に忘れないという。

やがて店の暖簾は兄弟へと継がれていき、嬉しいことに屋号は全国まで響き渡るようになっていった・・・・
・・・・しかし、お袋はそれを嫌ったとともに寂しく険しい顔をする。
”小さく細長いのがラーメン屋”という”お袋理念”のひとつは時代の流れと共に消えていった。
父が心臓病で倒れ、すっかり回復し社会復帰して間もない頃だが
不自由な脚の痛みに限界が来たのか人工関節の手術を受けたのもこの時期だと思う。

無事、復帰し2〜3年後、自分だけの城をつくるかのように、またラーメンを作りはじめた。屋号を「駅」と言う。
名前の由来は高倉健さんが主演の映画「駅」である。
高倉健さんが演じる刑事役でラーメン屋になりすまし持っている出前箱を撮影時に貸した
らしくそれ以来の付き合いだと聞いている。

・・・・それから10数年たった昨日、お袋はたくさんの思い出を持ちとうとう暖簾を下ろした。
その気持ちというのは、やがてぼくがハサミとクシを置くときと同じなんだろう・・・多分。
これからの”恩返し”はお袋のように一生懸命、人さまに喜ばれるヘアカットや美容の仕事だと思っている。
最近は相当に体を酷使したようだし、祖父が100歳で昨年、他界してからというもの、
どうも疲れている様子でもある。たまにカラーやカットする髪にも元気が無い・・・

記念すべき最終日、お袋から電話が来た。「最後のラーメン食べに来ないかい?」声がとても寂しい・・・・
声に元気が無いのだ。
しかし土曜日、「行けないヨ」 心の中で詫びた。 なごりを惜しむかのように200人程の
ファンが集まってくれたという。そんな多くの人たちに惜しまれ幸せだと思う。 暖簾をたたんだと思うころを見計らい
感謝の気持ちを伝えようと電話してみたら、お袋が寂しい声でひとこと電話の向こうで言った。 

「これがわたしの終着駅なんだねぇ。」・・・と。

※本当に長い間おつかれさま!そしてサンキュー!