Muranaka Diary2000-2017

【9周年SP】今日までそして明日から

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第八章 【さようなら】

久保は思っていた以上にセンスを発揮した。
与えたカットの練習技法を次々に身につけていく。
だが、どうしても自分が何故上手いのか?を理解させるのが難点だった。
自信をつけるのには時間がかった。

春になった頃、全国放送のドキュメンタリー番組のオファーがあった。
何故こんな自分が?収録に2年も費やすので状況からして無理だ。
店に残されている課題が山積みな状況下では・・・。
わざわざ東京から来てくださったのにお断りした。しかし、
家族ぐるみでお付き合いのある東京のプロダクションからの紹介で、
その経緯の全てを教えて頂き、戸惑いはあったが承諾した。

密着取材なのでプライベートの許せる範囲で紹介していった。
過去の自分、現在の自分、将来の自分、美容にかける情熱。 色々・・・
月に一度はぼくの車で想い出のある道内各地を回った。
横にカメラさん、後ろにディレクター、聞き役の4人編成がほとんど。
初夏の北海道はとても爽やかで、たまに職場から離れると嬉しくなるのも覚えた頃である。 

その頃、久保も無事に8つほどあるサスーンの基本技術を身につけ、
すでに就職が決まっているサロンにいく準備も終わっていたが
ぼくはこのままサロンに残って欲しいと思い始めていた。
だが、なかなかそれを切り出せない。

そんな初夏、7月も中旬にもなる
美容学校に行く途中、サロンに寄ろうと店の前で車を停車中に
後ろから車が猛スピードでぶつかってきた。
バッグから店の鍵を取ろうと後部席に中腰でいたぼくの身体は反転し、
膝、腰など右半身などに激痛が走った。

その瞬間、何事が起きたかはわからなかった。
ビルの谷間、かなりの衝撃音があった。
同乗していた事務員の大窪は自らも頭を打ったにも関わらず、
走り去った車が赤信号で止まっている車の後方で停車した時、
助手席窓から運転手に事故を伝えた。

ぼくは車の中でただ放心状態だった。

その日を境に長く辛い日々が始まる。
常にどこかで痛みを感じる身体、気分も沈みがちになる。
店を休んだりもしたがお客様やスタッフに迷惑はかけられない。
治療を続けながらサロンにいる時は笑顔を心がけた。

休んでいる間は他のスタッフが代役を務めてくれたが、お客様は減少していく一方だった。
しかも同じセリフを残していく 「先生にどうぞお大事になさってください」 「早く元気になってください」
スタッフに残していった言葉を、有り難く受け止めたが、
残念ながらお別れの言葉でもあった。
自分にも腹が立つが、どうすることも出来ないこともある。

また久保には状況を理解してもらい、何としてでもしばらくの間は
店に残ってもらいたいと嘆願した。
就職先の代表の方には十分なご説明とお詫びを申し上げた。

ぼく自身は、身体が思うように動かせないことや
いつ、元のように回復するのか見通しもたたない不安、暗くて出口のないトンネルの中にいるようなのだ。
仕事の合間をぬって病院で治療に専念したが
実はこれで美容師生命は最後かと感じ始めていた。 引退・・・
しかし、この自分が怪我を理由に業界から去るなんて・・・らしくない。
そう自分に言い聞かせていた。 

翌月、8月に入るとさらに大きな悲劇が待っていた。

腰の手術のため入院するという父は、6月にも手術しているのだが、余計に痛くなったからまた手術だと聞いた。
「明日、手術だから髪を切ってくれないか?」 と連絡が来た。身体の調子が思うようにならないぼくは、
心配性の母や父には内緒で実は店を休んでいて、
ハサミを持つことも出来る状態ではなかった。

でもその日の夜、中の島店を使い久しぶりに父の髪をカットしてあげた。
最後の親孝行・・・だった。

手術前だというのに、ぼくの身体のことばかりを心配してくれた父。
何度も「手術はリスクが高いからやめてほしい」とお願いしたが
父は腰痛から解放され、まだまだ頑張りたかったんだろう。
そのときの会話が最後になるなんて・・・

あまりにも父が可哀想すぎる!

その翌日、救急車で運ばれた病院のICU室で、ぼくが対面したときの父の姿は
目が大きく開いたまま、身体中が酸素や輸血や心電図と、あらゆる管でつながれていた。
再会はわずか10分だった。

「何故だ!? 何があったんだ!?」

理不尽な出来事の連続に、何もかも人生そのものが狂い始めているような気がしていた。

そして雪が静かに降る寒い夜だった・・・
延命治療で、生きることに頑張り続けた父は母の介護もかなわず逝ってしまった。

「さよなら父さん!ぼくをここまで、育ててくれてありがとう・・・」

手をつないで冷たくなっていくまで心の中で語りかけていた。
生まれてからこんなに泣いたのは初めてだった。

この人を父に持って誇りと幸せを感じた・・・

さようなら

(続)

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