昨年から撮影が始まっていた龍馬伝、最初は「汚い」「ホコリっぽい」
「事実とちがう・・?」そんな声を聞いていました。
誰でも司馬遼太郎さんの小説を参考に考えていたことでしょう。。
しかし、原作は司馬さんではない。脚本、福田靖さん。
思い返せば昨年の紅白で長崎に行ったとき、帰りの飛行機で福田さんと
お会いして色んなお話が聞けた。
「意外なところから始まるよ・・・」「ぼくは司馬さんではないから」
なるほどですね!
主人公は確かに龍馬であるのだが、岩崎弥太郎の目線でドラマが
作られている。岩崎弥太郎の記憶の中の龍馬像を見せてくれたということだろう。
考え方によればどんな想像も作れる。
そんな長いドラマの撮影は1年間に及んだ。そして50回ほどに分割して
見せてくれた。ぼくはヘアメーク&ちょいで参加もさせてもらった。
撮影は幾度となく繰り返し、カメラのノンストップ、何度も何度も繰り返しの収録。
NG出してもそのままカメラは回っている。ズラが取れても、ズレても役者さんが納得のいくまで
止まらない。ホコリっぽっく見えるのは、とうもろこしをすり込んだ粉、でんぷんなどお互いに付け合って
演技をするから、ある面では汚さも感じたのでしょう。
しかしこれが明治初期をイメージ、混乱期をイメージするには丁度いい演出なのだ。
もっともっと泥臭くてもいい筈だ。
それだけその時代に命をかけ、屁理屈なしで生きた証を伝えるには綺麗ごとだけでは済まない。
そんな感じがした。どの場面が綺麗で、どの場面を汚くするのか、
イメージすると台本だど見なくてもハッキリわかる。。
歴史に残ったことを再現せよ。。色褪せても、輝いた作品を・・・。
綺麗なのは主役を演じた福山さん。逆に体当たりでぶつかった香川さんの役柄は
現場で見てても魅了する。伊勢谷さんも同じだ。福山さんは汚くしてもどんなに汚くしても何となく綺麗に、
収まり、そしてサマになってしまう。。 一体なんだろう。。?
失礼だが香川さんは汚くしてもどんなに汚くしても、汚いままで勢いがあるのだが。。
ヘアメークのチームの中で常に「?」がついてまわった。トップメークアーチストの
藍ちゃんですら困っている。美術アーチストの柘植さんもかなり考え込んだという。
イメージという枠にどうしてもとらわれてしまう。みんな苦しんだ。。
現場で意見を出したって一分一秒をあらそう場面、頼りになるのは「イメージ」。
これはサロンワークでも同じことだ。一瞬にしてゲストの表情や、空気を読まなければならない。
何度も慶応時代に戻ってこの目で見たかった。
深夜、早朝にまでも撮影が続いたこともある。キツイはずなのに
役者さんにそんな顔が見えない。これはすでにこの現場、あの現場が徳川幕府、
そして維新そのものなんだろう。こんな体当たり的なドラマは初めての経験だった。
そして無事にアップされ最終回を迎えることになるが、裏方のぼく達の仕事は続いている。
(続)