Muranaka Diary

2018.11.15

坂本龍馬

幕末や明治維新、日本史好きですか?

西郷どん?

今日はなんと言ってもこの人物を語りたくなる日。

「坂本龍馬 直柔」

幕末ヒーローなんだもん。そして今でもファンが多い。

この人を語るにはあくまでも「憶測」になってしまう。

それは多くの謎や秘話がつきまとうからだ。

それがこの人の魅力なのかもしれない。

ぼくが直接自分の目で確かめたことで、わかっているのは、

確かに坂本龍馬という人物は存在した。

そして北海道とはとても縁深い。

しかし、坂本龍馬自身は蝦夷地、北海道の開拓を志したが

北海道には一度も来ていない。

そして坂本龍馬の倒幕の為の直筆海戦図は札幌にあった。

画家でもある坂本直行は龍馬の子孫という事で実在した。

(坂本直行氏は釧路生まれで、祖父が坂本龍馬の甥に当たります。
坂本龍馬の末裔だった。)

札幌円山墓地に坂本龍馬 直柔と墓誌に記されている。

これらは坂本直行氏のご子孫の方々が北海道各地に居住しており、

その墓標に度々登場している。

坂本龍馬の史跡を追いかけ出版された宮地佐一郎氏とぼくが

33歳の時に偶然帯広の資料館で出会い、詳しく知らされる。

その話しから知り得た場所には確かに龍馬の名前が度々登場する。

浦臼町や 月形町など樺戸郡という各町村の郷土史料館には必ず

龍馬の書簡が登場している。これは坂本直行氏の思想や

農場を営む志を持ち訪れた町とされ、浦臼町に移住した。

今日15日が龍馬の誕生日だが、暗殺されたのも今日というのは

疑問がある。それがきっかけで戊辰戦争が始まったという説は

どうも違うようだ。

誰かに暗殺されたとあるがそれが事実なら刺客は新選組でも

見廻り組みでもない。

そこで登場する人物は今井信郎、佐々木只三郎と本人達は

名乗ったらしいが信憑性に欠けることが多い。

また、出身地の土佐藩士、交友の深かった薩摩藩士という説も

ある。しかし本当は酔っ払って階段から転げ落ちたかも知れない。

事故現場は京都の近江屋で中岡慎太郎と一緒だったというが、

これにも異論や諸説が多くある。

徳川家が大政奉還を行い、日本は天皇国家に戻る。

初代内閣総理大臣は長州藩士山口県出身の伊藤博文であるが、

皮肉にも現在の安倍首相の選挙区であることとは無関係だ。

坂本龍馬の船中八策においては倒幕後に日本政府を作る事は事実資料が

残っている。

こうして考えてみると多くの謎が残り、いくつもの憶測が

誕生されて美化されてきたが、ただいくら昔の歴史の人と言え、

30歳ほどの若さで先行く日本の未来を考え、あるべき姿の日本に

民主主義の基盤を作りあげた人として尊敬せざるを得ない。

以上がぼくが知っている坂本龍馬でした。。

この人が日本で初めて作ったとされる株式会社、亀山社中は

現在の三菱商事。岩崎弥太郎が代表を務めた。

貿易の仕事を志していた龍馬が常に仲間に伝えていた名言があるという。

「辛いか?苦しいか?だが、私はそこを笑って通り過ぎた事があるよ。」

ぼくはこの言葉が好きで、今も心の何処かで活かされている。

 

平成最後の11月15日この日を記念して、

Happy birthday to riyoma Sakamoto.